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アーカイブ > manu coffee柳橋店、はじまります。 

Chapter 2:高島屋 高島さんご家族

柳橋の歴史を紐解く際、まず柳橋の現状を、空き物件の目の前にあるパンと和菓子を取り扱う「高島屋」さんのご家族に話を伺いました。高島さんご家族は、今回お話を伺う際、とても気持ちよく笑顔で接してくれました。。
柳橋連合市場は、福岡市中央区春吉一丁目、那珂川にかかる柳橋のたもと(左岸)に位置し、全長100mほどのゆるくうねった一本の通りを中心に、およそ50軒ほどの店舗が連なり、そのほとんどが鮮魚や青果といった生鮮食品を対面型商売で行なっています。
キャッチフレーズとなっている『博多の台所』は、市場の規模の大きさではなく、歴史的な知名度の高さと、現在もなお良質な食材を提供している証であり、市場が掲げる看板になっています。
そこから資料等を調べていくと・・・
大正半ばごろ柳橋のたもとで鮮魚商数人でリヤカーで魚を売り出し、半田惣介という方が「柳橋廉売市場」と名付けたのが始まりとされています。その後、昭和初期に地主からの立ち退きに反対し土地を買い取り、明(あきら)商店という名で再スタートをきり、戦後現在の『柳橋連合市場』と名乗る様になりました。

さらに歴史を辿っていくと、市場が形成される以前(明治40年代頃)のこの土地(現在の清川から柳橋にかけて)は遊郭(今の中州の様な場所)が存在し、艶な香り・様々な人間模様の中、発展していきました。
嗜好品であるコーヒーはこの土地とも相性抜群であることを確信し、想像を現実に変えるべく仲介業者にコンタクトをとりました。。。
To be continued...


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